株式会社シースカイ







シースカイ代表の岡二郎は、阪神・淡路大震災や東日本大震災などで、ボランティア活動を行いました。

特に阪神・淡路大震災では海上自衛隊で培った多くのノウハウを駆使し、地震発生から約3週間で、避難所となった神戸市立長田小学校をいち早く学校再開、避難者との円満な共存生活を樹立しました。
東日本大震災では、ある復興共同体の代表に推され、放射能汚染土壌処理などに協力、様々な体験をしてまいりました。
また、北京五輪やバンクーバー五輪においては、代表選手の一部を応援、メダル獲得にも大いに貢献しました。
これらの活動は、「日本人を強くする!」という取り組みを掲げる、シースカイの原点とも言えます。

被災地では、被災された方々の心身のケアがとても重要です。
被災された方々が心身のバランスを回復できてこそ、明日への復興につながります。

シースカイでは、「スーパートリノ」を活用し、多くの方々の心身のバランスを回復することで、少しでも復興の一助になれるよう、これからも多様な取り組みを行ってまいります。



阪神大震災の避難所にてリーダーを務めた、岡 二郎の取り組みが朝日新聞にて紹介されました。
避難所「リーダー」ありがとう
■混乱気遣い休職 被災者まとめる 神戸で奮闘約20日
 阪神大震災の直後から、家族の住む神戸市内の小学校で被災住民のリーダー役を務めた海上自衛隊パイロットが6日、鹿児島県の基地に復帰するため神戸をあとにした。被災した家族の安否確認のために駆け付け、避難所の混乱を見捨てておけずに、そのまま「一時休職」。被災者の相談に乗り、教職員やボランティアをまとめ上げた。
 鹿児島・鹿屋基地の対潜哨戒機機長、岡二郎・三佐(43)。神戸育ちで、長田区の自宅に妻と3人の娘を残して、単身赴任中だ。
 神戸市内で高校の同窓会に出席した後、鹿児島に戻る船中で震災を知った。自衛隊機に飛び乗り、その夜、徳島から兵庫県入りした。
 幸い家族は無事。だが、小学校6年の三女(12)の通う市立長田小学校は1200人の被災住民であふれ、おにぎり1つを3人で分け合う混乱ぶりだった。気が付いたら、職員室のマイクを握り、住民や教職員らに自分の立場を説明して、協力を申し出ていた。
 朝6時から深夜零時まで奮闘の毎日が始まった。25ある教室ごとに住民のリーダーを募り、約30人のボランティアを使って自治組織を作り上げた。てきぱきした指示と軽い物腰に信望が集まり、岡さんを中心に避難所はまとまった。
 号令の代わりに、お年寄りには「たまには健康のために荷物を運びましょう」と勧める。少年少女には「あすの神戸を再建する諸君」とユーモアを交えた。
 毎夜、全ての教室を回って要望や悩みを聞いて歩いた。5日夜の最後の見回りで、別れを口にすると次々と握手を求められた。
 岡さんは「2人の娘がお世話になった学校ですが、仕事で運動会と参観日と2度しか来れなかった。いい恩返しができました」と話していた。
(朝日新聞 1995年2月7日朝刊より記事を引用)

長田小学校ボランティア仲間から
頂戴しました寄せ書きです

神戸市都市計画局の職員有志から
頂戴しました寄せ書きです

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長田小学校から頂きました感謝状です


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